visual philosophy salon

vol.0

at Apple Store Ginza

2008/05/10

藤井光 『飛行少年死す』





河合:本日はこれをつくられた藤井光さんがいらっしゃっていますので、みなさま拍手でお迎えください。


ぼくがこの作品を見ておもったのは、何というんですか、映っている対象とか、そこに起きている出来事っていうのは、自衛隊を撮ってはいけないという、割と簡単なことだと思うんですね。だけれども、それがやっぱりそのスローモーションだったりとか、あるいはカメラを制止する手の、その人間の手で隠されているという感じの生々しさとか、やはりそういう映像の表現の力によって、見てはいけないものとか撮ってはいけないものが世の中にはあるんだっていうような、そういう社会的なことが何か映像のある種の美しさとか、映像の表現の力によって表れているような気がしますね。


藤井:はい、この後の映像でももう少しどんどん過激になって、今回撮影中にいろいろ、カメラごとわしづかみにされたりとか、どんどんなってくるんですけれども、撮影の途中でも映像に映っている自衛官の手の皺とか、すごく冷静に見ています。おそらくそういう状況下では、手の皺とかは見てはいけないものかな、と思うんですけど。


河合:だから何かその、撮っているもの自体はすごくわかりやすいものだけれども、それだけに、すごくヴィデオの、映像の表現の力、単純にこう社会的なスローガンとかを訴えるんじゃなくて、やはりその映像のもつ力によって訴える力とか、訴えるというよりは問う力かな、何が起きているんだろう、これはこういう場所でしか起こらないことじゃなくって、これを見ているぼくら自分たちが、それぞれ身近に起こることかもしれないとか、そういうことを感じさせるような力があると思いますね。


藤井:あまり身近に起こったら大変かもしれないけど、まあそうですね、多分この映像を見て、映像って何なのとか、もっと直結的にいうとカメラって何なのっていう問いが、多分たってくるのかな、と思う。それに対する答えも何も別にぼくは提供しているわけではない。ある意味方向付けはしているかもしれないけど具体的には提供していないので、まあそこで考えていただければと思います。


河合:何というんですか、あれですよね、ある意味での教育的と言うと変かもしれないけど、何か見る人に問いかけて考えさせるものとしてのヴィデオという考えがやはりあるんですか。


藤井:そうですね、ぼくは今までずっと映像を見てきた中で、やはりぼくの中で心地いいのは考えさせてくれる映像が非常に好きなので、それってある種の自分で考え頭をトレーニングしていく、読み解いていったりすること自体がぼくにとっては最高に気持ちいいので。


河合:それが気持ちいい。考えることが身体的に気持ちいいってことですね。なるほどね。visual philosophyって感じですね。言葉を超えて身体的に考えることが気持ちいいと。ありがとうございました。


次の作品にまいりたいと思います。次は瀧健太郎さんの『prologue』という作品をご覧いただきます。

次:瀧健太郎 『prologue』
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